【エピソード9】嶋井宗室―宗麟と結び付いた博多豪商―
嶋井宗室―宗麟と結び付いた博多豪商―
嶋井宗室展の図録(福岡市博物館)
中世の博多で活躍した豪商に、嶋井宗室(そうしつ)という人物がいます。
宗室以前の嶋井家に関わる史料が残っていないため、その出自については不明な部分が多いのですが、宗室は元和元(1615)年に行年77歳で没したと伝えられることから、16世紀後半から17世紀初頭に活動した商人であることがわかります。
1997年に嶋井宗室展を開催した福岡市博物館には、総数1000点の「嶋井家資料」が寄託されています。そのなかに、永禄8(1565)年から元和元年までの宗室の活動を記録した「嶋井氏年録」があります。それによると、宗室は、対馬の問丸商人「博多屋」から荷物を買い取り、それを自らの商用船「永寿丸」を使って大阪の堺に運んで売却しています。
では、宗室が取り扱った荷物はどのようなものだったのでしょうか。「嶋井文書」に記録される商品名を列挙すると、「織絹(おりきぬ)」(絹織物)、「モメン」(木綿)、「高麗(こうらい)茶碗之鉢」(朝鮮産の茶碗)、「てる(照)布」(朝鮮産の上質布)、「ほっけん」(中国産の黄糸絹)、「博多唐織(からおり)」、「練酒(ねりざけ)」等々。地元博多産の織物や酒に加えて、朝鮮や中国からの商品が目に付きます。
これらは対馬の商人を通して間接的に仕入れたものや、「永寿丸」に乗って自ら朝鮮に出向いて買い付けてきたものと言えます。朝鮮―対馬―博多を結ぶ流通の媒体と化して、資本を拡大していく戦国時代の豪商の姿が垣間見えます。
こうした博多豪商嶋井宗室が歴史に名を残すきっかけとなったのは、当時、筑前博多方面へ勢力を拡大していた大名大友氏との関わりでした。「嶋井氏年録」の天正2(1574)年前後の記録には、「大友様より銀子御借財…御軍用指出(さしだ)ス」、「宗麟様ヨリ銀御借用…」と、大友義鎮(宗麟)から軍用銀の借用依頼を受け、複数回にわたって提供したことがわかります。
臨戦下の大名から経済的貢献を強いられた宗室ですが、実は自らも積極的に大名権力に接近して、その経済活動を有利に進めようとした姿勢も見逃せません。永禄9(1566)年には、臼杵の丹生島(にうじま)城に居住していた義鎮のもとに、正月と8月の2度も「登城」して面会を受けています。
軍用銀提供の見返りとして宗室が期待したのは、流通課税免除の特権でした。嶋井家関係の史料のなかには、大友義鎮が領国内での流通税と博多での諸税の免除を認めた朱印状の写しが残されています。博多豪商嶋井宗室は、豊後の大名大友氏と結び付くことで、経済的に優遇された特権商人として成長していくことができたのです。
宗室以前の嶋井家に関わる史料が残っていないため、その出自については不明な部分が多いのですが、宗室は元和元(1615)年に行年77歳で没したと伝えられることから、16世紀後半から17世紀初頭に活動した商人であることがわかります。
1997年に嶋井宗室展を開催した福岡市博物館には、総数1000点の「嶋井家資料」が寄託されています。そのなかに、永禄8(1565)年から元和元年までの宗室の活動を記録した「嶋井氏年録」があります。それによると、宗室は、対馬の問丸商人「博多屋」から荷物を買い取り、それを自らの商用船「永寿丸」を使って大阪の堺に運んで売却しています。
では、宗室が取り扱った荷物はどのようなものだったのでしょうか。「嶋井文書」に記録される商品名を列挙すると、「織絹(おりきぬ)」(絹織物)、「モメン」(木綿)、「高麗(こうらい)茶碗之鉢」(朝鮮産の茶碗)、「てる(照)布」(朝鮮産の上質布)、「ほっけん」(中国産の黄糸絹)、「博多唐織(からおり)」、「練酒(ねりざけ)」等々。地元博多産の織物や酒に加えて、朝鮮や中国からの商品が目に付きます。
これらは対馬の商人を通して間接的に仕入れたものや、「永寿丸」に乗って自ら朝鮮に出向いて買い付けてきたものと言えます。朝鮮―対馬―博多を結ぶ流通の媒体と化して、資本を拡大していく戦国時代の豪商の姿が垣間見えます。
こうした博多豪商嶋井宗室が歴史に名を残すきっかけとなったのは、当時、筑前博多方面へ勢力を拡大していた大名大友氏との関わりでした。「嶋井氏年録」の天正2(1574)年前後の記録には、「大友様より銀子御借財…御軍用指出(さしだ)ス」、「宗麟様ヨリ銀御借用…」と、大友義鎮(宗麟)から軍用銀の借用依頼を受け、複数回にわたって提供したことがわかります。
臨戦下の大名から経済的貢献を強いられた宗室ですが、実は自らも積極的に大名権力に接近して、その経済活動を有利に進めようとした姿勢も見逃せません。永禄9(1566)年には、臼杵の丹生島(にうじま)城に居住していた義鎮のもとに、正月と8月の2度も「登城」して面会を受けています。
軍用銀提供の見返りとして宗室が期待したのは、流通課税免除の特権でした。嶋井家関係の史料のなかには、大友義鎮が領国内での流通税と博多での諸税の免除を認めた朱印状の写しが残されています。博多豪商嶋井宗室は、豊後の大名大友氏と結び付くことで、経済的に優遇された特権商人として成長していくことができたのです。