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国際文化学部

【エピソード50】フランシスコ・ザビエル―教皇使節として西国大名に面会―


フランシスコ・ザビエル―教皇使節として西国大名に面会―

新カテドラル聖具室内に飾られたマヌエル・エンリケス作「大友義鎮(宗麟)に面会するザビエル」(コインブラ)

 キリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが日本に滞在したのは、1549年8月15日から1551年11月15日までの2年3ヶ月です。この間にザビエルは、鹿児島や平戸、山口などで布教活動を進めますが、彼が日本宣教の最終拠点に選んだのは府内(大分市)でした。
 1551年9月、45歳のザビエルが、父の跡を継いで豊後の領主となって間もない21歳の大友義鎮(よししげ)(宗麟)を訪ねます。この両者の歴史的面会の場面は、のちの17世紀のヨーロッパ各地で絵画や版画などに描かれています。ここでは、ポルトガル中部の都市コインブラにある絵画を紹介しましょう。
 コインブラは、丘の上に位置するコインブラ大学(13世紀創設)を中心に発展した文化都市です。モンデゴ川東岸の台地に立地する大学の北東方面に位置する新カテドラル(セ・ノーヴァ)は、1598年にイエズス会コレジオ付属の教会として建設されたもので、その聖具室には、大小無数の額装絵画が保管されています。その中に、17世紀前半の作とされるマヌエル・エンリケスによる複数の作品が含まれているのです。作画のモチーフは、インドの民衆の前で布教をするザビエルや、インド南部のコモリンやトラヴァンコールでの戦いのなかで祈るザビエルなどです。
 この一連のマヌエル・エンリケス作品のなかに、ザビエルが玉座に座った王に面会する場面を描いた画像があります。ポルトガル美術史研究者のヴィトール・セラン氏は、この絵画を1640年の作品とし、玉座の王を豊後の戦国大名大友義鎮としています。
 歩み寄ってくるザビエルを迎える大友義鎮は、その衣裳こそ16世紀日本の戦国武将の姿ではありません。しかしながら、絨毯(じゅうたん)を敷いた玉座から右手をあげてザビエルを迎え入れようとする顔の表情は、日本人らしく描かれています。また、ザビエルの後方に描かれた6~7人の僧侶たちは、右手で棒を誇示してザビエルを牽制(けんせい)しており、キリスト教受容をめぐる仏教界の反発を示しています。
 そこに描かれているのは、ローマ教皇の使節としてのザビエルが、王冠をのせた異国の王に威厳をもつ高位聖職者として接する場面です。イエズス会は、こうした絵画の作成を進めることで、布教活動の成功のためには現地権力者に接近することを厭(いと)うべきではないとする宣教方針を、わかりやすく説いていこうとしたのです。
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