【エピソード48】珪室等玉―御柱川曳きの寺社奉行―
珪室等玉―御柱川曳きの寺社奉行―
かつて、川は人間が生活と生産活動を維持するうえで、欠くことのならない重要な要素でした。現代でも、川は人間生活に欠かせない存在であることは間違いありませんが、人間の社会生活全般に占める川の相対的位置が低下して、今では、飲料・農工業用水の供給源と、ごく少数の太公望たちの娯楽の場としてしか、一般に認識されなくなってしまいました。
中世に川の流域に暮らした人々は、川という地理的条件と、雨という気象条件を巧みに利用して、物資を効率的に下流の目的地まで水上輸送していました。では、そうした生活スタイルは、文献史料上どの程度古い時代まで確認できるでしょうか。
文亀元(1501)年に戦国大名大友義長(義鎮(よししげ)=宗麟の祖父)は、守護公権力として豊後国の一宮である柞原(ゆすはら)八幡宮の社殿造替を執り行います。実際の実務を担当したのは、大友氏の寺社奉行となった実相寺の僧侶、珪室等玉(けいしつとうぎょく)でした。
等玉は、柞原八幡宮側と打ち合わせて、遷宮の旧例やしきたりを調べ、造営儀式の段取りを執り進めます。八幡宮側に伝わる数百点の古文書のなかに、その時のやりとりが「造営次第注文」などとして残されています。
それによると、等玉らが参考先例としたのは、300年ほど前の承久2(1220)年の社殿造替でした。鎌倉時代前半のこの遷宮では、2月に杣山(そまやま。神木を伐り出す山)での儀式が始まり、7月に神木の運び出し、8月に宝殿までの「地引始(じびきはじめ)」(神木を陸曳(おかび)きして奉納)という具合に行事が進み、12月9日の辰(たつ)の刻(午前8時前後)に「御柱立(おんばしらたて)」、そして午(うま)の刻(12時前後)に棟上げを行っています。
「御柱立」というと、現代では長野県諏訪大社で7年ごとに宝殿造替を行う「御柱祭」が有名ですが、豊後の柞原八幡宮でも同様の神事が鎌倉時代から執り行われていたのです。
天正十年代(1580年代)の柞原八幡宮社殿造替では、由布院の宇奈岐日女(うなぎひめ)神社で「材木取」を行ったとの記録があります。同社境内には、現在でも樹高30メートルを超える巨樹が林立しています。
さらに注目できるのは、7月2日から行う杣山からの神木の運び出しの方法です。柞原八幡宮の場合は「河下(かわくだし)」、つまり大分川の流れを利用した神木の川曳(かわび)きが、鎌倉時代以来の遷宮行事で民衆が参加する最大イベントだったのです。16世紀の寺社奉行等玉も、300年前からの旧例に基づいて神木「河下」の神事を執り行ったと思われます。
中世に川の流域に暮らした人々は、川という地理的条件と、雨という気象条件を巧みに利用して、物資を効率的に下流の目的地まで水上輸送していました。では、そうした生活スタイルは、文献史料上どの程度古い時代まで確認できるでしょうか。
文亀元(1501)年に戦国大名大友義長(義鎮(よししげ)=宗麟の祖父)は、守護公権力として豊後国の一宮である柞原(ゆすはら)八幡宮の社殿造替を執り行います。実際の実務を担当したのは、大友氏の寺社奉行となった実相寺の僧侶、珪室等玉(けいしつとうぎょく)でした。
等玉は、柞原八幡宮側と打ち合わせて、遷宮の旧例やしきたりを調べ、造営儀式の段取りを執り進めます。八幡宮側に伝わる数百点の古文書のなかに、その時のやりとりが「造営次第注文」などとして残されています。
それによると、等玉らが参考先例としたのは、300年ほど前の承久2(1220)年の社殿造替でした。鎌倉時代前半のこの遷宮では、2月に杣山(そまやま。神木を伐り出す山)での儀式が始まり、7月に神木の運び出し、8月に宝殿までの「地引始(じびきはじめ)」(神木を陸曳(おかび)きして奉納)という具合に行事が進み、12月9日の辰(たつ)の刻(午前8時前後)に「御柱立(おんばしらたて)」、そして午(うま)の刻(12時前後)に棟上げを行っています。
「御柱立」というと、現代では長野県諏訪大社で7年ごとに宝殿造替を行う「御柱祭」が有名ですが、豊後の柞原八幡宮でも同様の神事が鎌倉時代から執り行われていたのです。
天正十年代(1580年代)の柞原八幡宮社殿造替では、由布院の宇奈岐日女(うなぎひめ)神社で「材木取」を行ったとの記録があります。同社境内には、現在でも樹高30メートルを超える巨樹が林立しています。
さらに注目できるのは、7月2日から行う杣山からの神木の運び出しの方法です。柞原八幡宮の場合は「河下(かわくだし)」、つまり大分川の流れを利用した神木の川曳(かわび)きが、鎌倉時代以来の遷宮行事で民衆が参加する最大イベントだったのです。16世紀の寺社奉行等玉も、300年前からの旧例に基づいて神木「河下」の神事を執り行ったと思われます。
長野県諏訪大社での御柱曳き。中世の柞原八幡宮では御柱の「川曳き」がメインだった。


