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国際文化学部

【エピソード46】寒田鎮郷―府内の筆頭蔵奉行―


寒田鎮郷―府内の筆頭蔵奉行―

 16世紀末の「徴符(ちょうふ)」という興味深い史料があります。
 「高田庄、田地九反(たん)七十四歩、右一反別米一升宛、畠地三町二反大四十歩・屋敷五反小八十八歩、右二反別大豆一升宛、右合わせて四町七反小二歩、右の前、急度(きっと)あい調え、府内のごとく運送肝要の由、御下知(げち)により調符件(くだん)のごとし」。
 史料は、天正18(1590)年9月21日に、豊後国高田荘に領地をもつ大友氏家臣平林兵部(ひょうぶ)少輔(しょうゆ)に宛てて出された年貢納入請求書です。高田荘内の田地・畑地・屋敷に賦課する年貢を、大友氏の本拠地府内(大分市)に運送し納入するよう命じています。
 大野川河口に近い高田荘に平林兵部が所有するのは、田地が面積9反あまり、畑地が3町2反、屋敷が5反あまり。田地からは1反につき米1升、畑地と屋敷からは2反につき大豆1升を納付せよとの内容です。
 この年貢納入請求を受け、平林兵部は、同年11月25日に請求通りの米と大豆を納付します。同家に伝わる「徴符」を裏返すと、その量が記されています。米1斗8升4合9勺(しゃく)、大豆は3斗8升4合6勺あまり。合わせて5斗7升ほどのこの穀物年貢が、指示通りに府内に運び込まれ、蔵奉行に引き渡されたのです。
 「徴符」の紙背にはさらに続けて「右、請(う)け取るところ件(くだん)のごとし」。大友氏の蔵奉行3名が、年貢を確かに受け取ったことを紙背に明記し、署名のうえ花押(かおう)(サイン)を記しています。
 府内の蔵場で納入物資を受け取ったこの3名の蔵奉行の筆頭で署名しているのが、寒田(そうだ)右近大夫鎮郷(しげさと)です。この蔵役人は、はたしてどのような人物なのでしょうか。
 江戸時代に編纂された『大友興廃記』では、「所司代(しょしだい)寒田」が、府内の町での押買騒動を裁定した逸話を紹介しています。藍沢(あいざわ)兵部丞という人物が、府内の見世棚(みせだな)で鶴を押し買おうとして町人と押問答になった事件で、「所司代寒田」は、「町人、藍沢を侮(あなど)って、鴉(からす)を鶴にして売らんとせし非道」と認定し、逆に町人を処罰したとするエピソードです。
 また、家臣団武士の屋敷の記載がほとんど見られない戦国時代の府内古図のなかに、町をややはずれた北西部の位置に「寒田重里(しげさと)屋敷」が描かれていることも注目されます。
 大名蔵を管理する役人が、都市府内の町はずれに屋敷をもち、さらに町政裁判に口添えできるほどの有力者であったことを物語っています。

年貢の米と大豆を受け取った寒田右近大夫鎮郷の署名と花押(左下)

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