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国際文化学部

【エピソード31】「浮喇哈力汪加」―大友義鎮(宗麟)に国書を贈ったカンボジア国王―


「浮喇哈力汪加」―大友義鎮(宗麟)に国書を贈ったカンボジア国王―

現在のカンボジア王宮即位殿(プノンペン)

 1579年、東南アジアのある国王が、1艘の船を日本豊後の大友義鎮(よししげ)=宗麟)のもとへ派遣しました。島津氏の外交僧である雪岑津興(せっしんしんこう)が著した『頌詩(じゅし)』という文献のなかに、その国王が義鎮に宛てた国書が書き写されています。
 国書の差出人の名前は、「甘埔寨浮喇哈力汪加」の漢字表記。このうち、前半部の「甘埔寨」は、「カンボジア」と読みます。現代でも中国語の書物で、カンボジア国は「柬埔寨国」あるいは「甘埔寨国」と表記されるのをよく見かけますが、では、後半部分の「浮喇哈力汪加」はどう発音し、またそれは誰をさすのでしょうか。
 カンボジア歴代国王の『年代記』を調べると、16世紀後半の大友義鎮と同時代に生きた国王は、バロム・レアッチァ1世(1520年生、1566年即位、1576年没)と、その長男のサター1世(1553年生、1576年即位、1596年没)の2人であることがわかります。国王船が派遣されたのが1579年ですから、その時に在位していたのは、サター1世になります。
 問題は「浮喇哈力汪加」の読み方です。実は、カンボジアでは、歴代国王が王位に就く際、その聖別式で王にクメール語の長い称号がつけられます。例えば、サター1世の称号は「プリヤ・レアッチア・アンチャ・プリヤ・ボロム・レアッチア・レアミア・トゥプディ」。その父のバロム・レアッチァ1世は「プリヤ・レアッチア・アンチャ・プリヤ・ボロム・レアッチア・ティーレチュ・レアミア・トゥプディ・プリヤ・アン」。また、サター1世の二男バロム・レアッチァ2世も「プリヤ・レアッチア・アンチャ・プリヤ・バロム・レアッチア・ティーレアチュ・レアミア・トゥプディ」。
 長い称号ですが、いずれもその冒頭が「プリヤ・レアッチア・アンチャ」で始まっていることがわかるでしょう。
 そして、この称号の音に漢字を当てて、「プリヤ」(Preah)は「浮喇」、「レアッチア」(Reachea)は「哈力」、「アンチャ」(Ang Cha)は「汪加」。つまり、カンボジア国王の漢字名「浮喇哈力汪加」は、クメール語の国王称号「プリヤ・レアッチア・アンチャ」(Preah Reachea Ang Cha)を意味しているのです。
 現地語では、「プリヤ・レアッチア」(Preah Reachea)は、王や王族に敬意を表してつける接頭語です。そして、「アンチャ」(Ang Cha)は、サター1世の祖父アン・チャン(Ang Chan)王の血統を意味するものと思われます。
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