【エピソード29】盧高―倭寇根拠地からの渡来人―
盧高―倭寇根拠地からの渡来人―
太平の町に残る城壁の門(中国浙江省台州)
元亀2(1571)年7月13日、豊後府内(大分市)に居住していた2人の中国人が、近隣の寺院に梵鐘(ぼんしょう)を寄進しました。鐘の寄進先は、「大日本国九州豊後国大分郡府中今小路(いまのこうじ)惣道場」。
この「府中今小路惣道場」について、『大分市史』や『邑久(おく)町史』では、豊後府内のキリスト教会もしくは浄土真宗寺院と解釈しています。しかしながら、大分市歴史資料館所蔵のいわゆる「府内古図」(戦国時代の豊後府内を描いた絵図)を細かく見ると、「今小路町」は、府内の東を北流する大分川の川岸の木戸を入口として大友館(やかた)の北東角の辻まで伸びて、唐人町・桜町の大路と交差しています。その辻には称名寺という時宗寺院の大伽藍(がらん)が面していて、寺は今小路に面する南側と東側が門になっています。特に、称名寺東門前の小路を「とうちやう小ち(道場小路)」と称していることから、「府中今小路惣道場」とはこの称名寺をさすものと考える方が妥当と思われます。
「道場」というと、越前(福井県)の吉崎道場などの浄土真宗の坊舎をイメージしがちですが、中世では必ずしも真宗寺院に限定する必要はなく、例えば、天文4(1535)年、筑前博多では時宗の称名寺を「博多津土居(どい)道場」と呼称した事例もあります。
さて、異郷に渡来し居住する2人の中国人が、近隣の寺院に梵鐘を寄進するには、単なる信仰心に加えて、豊富な財力も必要だったはずです。
寄進者のうちの1人の名前は「盧高(ろこう)」。詳細な出自はわかりませんが、梵鐘には「台州府盧高」と銘打たれていることから、現在の中国浙江省台州市出身と判明します。
上海の南300キロほどに位置する台州市は、東シナ海に面しています。実は、杭州湾岸の嘉興(かこう)から舟山(しゅうざん)島、そして台州にかけての浙江省沿岸地域は、16世紀に多発したの倭寇(わこう)活動(中国人、日本人など多国籍民族による私貿易活動で、それを禁じる明政府から見ると密貿易活動)の根拠地でした。
台州南部の温嶺(おんれい)市の太平という町には、「太平抗倭図」という約2メートル四方の大きさの絵図が伝来しています。描かれているのは、太平の町で密貿易や海賊行為をはたらく倭寇たちと、その退治に出陣する明軍です。さらに、『嘉慶太平県志』という史料には、嘉靖31(1552)年に起こった倭寇騒動の詳細が記録され、現地には16世紀に築かれた城壁の門も残されています。
盧高は、こうした倭寇活動の活発な地域から日本に渡来してきた人物だったのです。
この「府中今小路惣道場」について、『大分市史』や『邑久(おく)町史』では、豊後府内のキリスト教会もしくは浄土真宗寺院と解釈しています。しかしながら、大分市歴史資料館所蔵のいわゆる「府内古図」(戦国時代の豊後府内を描いた絵図)を細かく見ると、「今小路町」は、府内の東を北流する大分川の川岸の木戸を入口として大友館(やかた)の北東角の辻まで伸びて、唐人町・桜町の大路と交差しています。その辻には称名寺という時宗寺院の大伽藍(がらん)が面していて、寺は今小路に面する南側と東側が門になっています。特に、称名寺東門前の小路を「とうちやう小ち(道場小路)」と称していることから、「府中今小路惣道場」とはこの称名寺をさすものと考える方が妥当と思われます。
「道場」というと、越前(福井県)の吉崎道場などの浄土真宗の坊舎をイメージしがちですが、中世では必ずしも真宗寺院に限定する必要はなく、例えば、天文4(1535)年、筑前博多では時宗の称名寺を「博多津土居(どい)道場」と呼称した事例もあります。
さて、異郷に渡来し居住する2人の中国人が、近隣の寺院に梵鐘を寄進するには、単なる信仰心に加えて、豊富な財力も必要だったはずです。
寄進者のうちの1人の名前は「盧高(ろこう)」。詳細な出自はわかりませんが、梵鐘には「台州府盧高」と銘打たれていることから、現在の中国浙江省台州市出身と判明します。
上海の南300キロほどに位置する台州市は、東シナ海に面しています。実は、杭州湾岸の嘉興(かこう)から舟山(しゅうざん)島、そして台州にかけての浙江省沿岸地域は、16世紀に多発したの倭寇(わこう)活動(中国人、日本人など多国籍民族による私貿易活動で、それを禁じる明政府から見ると密貿易活動)の根拠地でした。
台州南部の温嶺(おんれい)市の太平という町には、「太平抗倭図」という約2メートル四方の大きさの絵図が伝来しています。描かれているのは、太平の町で密貿易や海賊行為をはたらく倭寇たちと、その退治に出陣する明軍です。さらに、『嘉慶太平県志』という史料には、嘉靖31(1552)年に起こった倭寇騒動の詳細が記録され、現地には16世紀に築かれた城壁の門も残されています。
盧高は、こうした倭寇活動の活発な地域から日本に渡来してきた人物だったのです。