名古屋学院大学史
建学の精神
キリスト教精神に基づく人間教育 137年の伝統
愛知県初のキリスト教主義学校である名古屋英和学校
クライン博士は、1857年に首都ワシントンに生まれ、大学院修了後、メソジスト・プロテスタント教会より日本に派遣されました。1883年に日本で伝道を開始した彼は、横浜での伝道を軌道に乗せると、当時はプロテスタント未踏の地とも言えた名古屋での伝道を熱望したのです。そうして設立されたのが名古屋英和学校でした。
クライン博士の掲げた精神「敬神愛人」
この「敬神愛人」を英語で表現すると“Fear God Love People.”神を敬うことが“fear”、すなわち「畏れよ」という意味であることに、現代に生きる私たちは気づく必要があります。人間のおごりを戒め、人との調和を説く、この「敬神愛人」の精神は、本学の歴史の中にしっかりと根をはり、今も息づいているのです。
NGUの前身となる名古屋英和学校の創立者、フレデリック・C・クライン博士。アメリカ出身のメソジスト・プロテスタント派の宣教師
1890年に南武平町に新築された名古屋英和学校の校舎。当時としては珍しい本格的西洋建築で、「隣の県庁よりも立派」と評された。
創立者クライン博士が、建学の精神として定めた「敬神愛人」。人間のおごりを戒め、人との調和を説いている。
初代学長の言葉「幽玄啓明」
私はしばしば「真理は隠されているものである」と申します。道端にころがっておる石のように、また商品のように、誰にでも目につき、お金を出せばすぐに買えるようなものではありません。「真理」はどこにあるかわからない隠されたものであります。さればこそ、探求し、さがし求めなければなりません。大学に入りましてのちは、諸君自らが隠された真理を探究するという態度が必要であります。
ところでその真理は、先ほどの聖書の言葉にありますように、求めるものには与えられる。新たに開かれる。「幽玄啓明(ゆうげんけいめい)」という言葉を私は使うのですが、真理は隠されている、すなわち「幽玄」である。けれども隠されたものが、いつまでもわからないままでは、これまた真理の値打ちもありません。
真理は、それを求めるものに明らかに啓示、すなわち「啓明」されてまいります。そこに私ども、真理を探究する者の望みがある。
この「幽玄」と「啓明」という言葉をあわせて、「幽玄啓明」ということを私自身、わが名古屋学院大学の一つの理念にしたいと思っているのであります。真理を追究して、それを明らかにしていくところに、わが大学の本当の値打ちがある。
私が学生のころ、最初に学びました経済学の書物で「人間生活を根本的に動かすところの動因に、宗教と経済がある」と書かれてあるのを知って感銘をうけたのでありますが、まことにそのとおりであります。
神を愛し、神を敬い、人を愛する、すなわち「敬神愛人」ということがキリスト教主義大学として建学された名古屋学院大学の建学の精神であります。そしてこの「幽玄啓明」と「敬神愛人」ということが相通ずるのである。宗教と経済、諸君は幸いにしてこの二つの動因を結びつけたこの大学で学ばれるのであります。
(「幽玄啓明(1980.2刊)」より抜粋)
初代学長 福田敬太郎
内村鑑三の掲げた精神「楽しく学ぶ」
高名なキリスト教思想家である内村鑑三も、NGUの前身である名古屋英和学校で教鞭をとり、大きな足跡を残した。
「講演前の内村鑑三の仰瞻(ぎょうせん)」 画 / 石河光哉
内村鑑三の自筆墓碑銘には、「私は日本のために、世界はキリストのために、そしてすべては神のために」とある。
大学の歴史
大学の設立まで
クライン博士と名古屋英和学校
名古屋中学校の時代
1899年(明治32)に私立学校令が公布されたのに従い、校名を「私立名古屋英和学校」と定め、1906年(明治39)に「私立名古屋中学校」として認可され、この年9月「名中」として開校。
以後、昭和初期に及ぶ間、生徒数の増加に伴い校舎等の整備拡張も行われ、順調な発展をとげ多くの人材を送り出しました。
名古屋学院の成立
翌年には、新制高等学校の設置も認められて、新校名を「財団法人名古屋学院」と定め、その後、私立学校法の成立により1951年(昭和26)3月10日から「学校法人名古屋学院」と改称しました。
生徒数の増加、同時に将来の上級学校設置への意図も含ませ、大幸校地の整備を進め、1955年(昭和30)9月全校が大幸学舎に移転しました。
クライン夫妻(中央自転車の2人)と
外人教師ら。英和学校前の路上
戦災前の長久寺町校舎本館
新天地”大幸ガ原”
チャペルから見た校舎
1883年 (明治16年) |
クライン博士がキリスト教伝道のため来日 |
1887年11月 (明治20年) |
名古屋英和学校を創設 |
1891年3月 (明治24年) |
南武平町県庁裏に新校舎を移転 |
1898年9月 (明治31年) |
長久寺町校舎に移転 |
1906年9月 (明治39年) |
私立名古屋中学校設立 |
1920年1月 (大正9年) |
名古屋中学校と改称 |
1945年5月 (昭和20年) |
空襲のため長久寺町校舎が破壊全焼 |
1946年6月 (昭和21年) |
長久寺町校舎が復旧 |
1947年4月 (昭和22年) |
新制中学校として認可 |
1948年4月 (昭和23年) |
新制高等学校設置 |
1951年3月 (昭和26年) |
学校法人名古屋学院と改称 |
1955年9月 (昭和30年) |
大幸町校舎に移転 |
1957年10月 (昭和32年) |
クライン・メモリアル・チャペル献堂 |
1962年10月 (昭和37年) |
創立75周年式典で大学設立宣言 |
名古屋学院大学誕生
名古屋学院大学開学
福田敬太郎初代学長は、キリスト教主義による名古屋学院の一貫教育の理想を完成し、中部経済圏のわが国全体における役割の躍進にそなえて必要な人材を供給すること、開学時より、人文科学ならびに自然科学の各分野にわたって整備された総合大学となることを志向しました。
瀬戸学舎への全学移転
名古屋学院大学開学
1964年
瀬戸品野台学舎(大学移転)
1968年
1964年4月 (昭和39年) |
名古屋学院大学開学 経済学部経済学科設置 産業科学研究所設置 |
1966年4月 (昭和41年) |
経済学部に商学科増設 |
1967年4月 (昭和42年) |
アラスカ・メソジスト大学と姉妹校関係を締結 |
1968年4月 (昭和43年) |
全学が瀬戸学舎に移転 国際研究センター開設 |
1970年4月 (昭和45年) |
国際交換計画委員会が発足 |
大学の基盤の整備
国際交流等の充実
また同年に、情報処理センターを開設し、その後も設備を充実させ、情報教育に力を注ぎました。
大学の基盤づくり
1983年(昭和58)には、キリスト教主義大学の象徴であるチャペルをキャンパス中心部に献堂しました。
L.L.授業
チャペル献堂式
1983年
1973年3月 (昭和48年) |
学校法人名古屋学院大学認可(学校法人名古屋学院から法人分離) |
1976年4月 (昭和51年) |
会計特修コース開設 |
1977年4月 (昭和52年) |
国際特修コース開設 |
1978年8月 (昭和53年) |
アラスカ州立大学(UAF)とアラスカ・メソジスト大学(AMU)と交換協定締結 |
1980年4月 (昭和55年) |
外国語教育研究センター開設 |
1980年10月 (昭和55年) |
情報処理センター開設 |
1983年9月 (昭和58年) |
チャペル献堂式 |
1984年10月 (昭和59年) |
パイプオルガン奉献式と披露演奏会 |
教育・研究の拡充
総合大学への整備
1992年(平成4)に経済学部商学科を改組し、商学部を開設、2000年(平成12)には経済学部に政策学科、2003年(平成15)商学部に情報ビジネスコミュニケーション学科、2005年(平成17)外国語学部に国際文化協力学科を設置しました。
そして、2006年(平成18)に開設した人間健康学部を礎に、2010年(平成22)にスポーツ健康学部とリハビリテーション学部を開設。
2013年(平成25)には法学部法学科を設置して、経済学部・商学部・法学部・外国語学部・スポーツ健康学部・リハビリテーション学部の6学部10学科の総合大学へと発展しました。
大学院設置
2001年(平成13)、大学院通信教育課程外国語学研究科英語学専攻〔修士課程〕、2008年(平成20)には〔博士課程〕を開設し、通信制で日本初の博士前期課程から後期課程まで一貫して学べるプログラムとなりました。さらに、2009年(平成21)には外国語学研究科に国際文化協力専攻〔修士課程〕を開設しました。
開学25周年
外国語学部開設記念祝賀会
1989年
大学院開設時に
建設された嗣業館
1997年
1988年12月 (昭和63年) |
希望館(管理棟)・第2研究館・国際セミナーハウス竣工 図書館増築 |
1989年4月 (平成元年) |
外国語学部英米語学科設置 外国語学部中国語学科設置 留学生別科設置 |
1991年4月 (平成3年) |
思星館(第2学生食堂)竣工 |
1992年4月 (平成4年) |
商学部商学科設置(経済学部商学科を改組) |
1997年4月 (平成9年) |
嗣業館竣工 さかえサテライト開設 大学院経済経営研究科経済学専攻(修士課程)設置 大学院経済経営研究科経営政策専攻(修士課程)設置 大学院外国語学研究科英語学専攻(修士課程)設置 |
1998年4月 (平成10年) |
大学院外国語学研究科中国語学専攻(修士課程)設置 |
1999年4月 (平成11年) |
大学院経済経営研究科経営政策専攻(博士後期課程)設置 |
2000年4月 (平成12年) |
経済学部政策学科設置 |
2001年4月 (平成13年) |
大学院通信教育課程外国語学研究科英語学専攻(修士課程)設置 |
2003年4月 (平成15年) |
商学部情報ビジネスコミュニケーション学科設置 |
2005年4月 (平成17年) |
外国語学部国際文化協力学科設置 |
2006年4月 (平成18年) |
人間健康学部人間健康学科、リハビリテーション学科(理学療法学専攻)設置 |
名古屋での新たな出発
名古屋キャンパス開設
大学本部、大学院、経済学部、商学部、外国語学部が名古屋キャンパスに移転し、人間健康学部のある瀬戸キャンパスとともに、名古屋学院大学の新たな歴史が始まりました。
さらに、2010年(平成22)には人間健康学部を基礎に、スポーツ健康学部とリハビリテーション学部を開設。2013年(平成25)には法学部法学科、2015年(平成26)には現代社会学部、国際文化学部、スポーツ健康学部こどもスポーツ教育学科を開設しました。
名古屋キャンパス開設
2007年
2007年3月 (平成19年) |
名古屋キャンパスチャペル献堂 |
2007年4月 (平成19年) |
名古屋キャンパス白鳥学舎・日比野学舎開設(大学本部、大学院・経済学部・商学部・外国語学部) 外国語学部中国コミュニケーション学科設置(中国語学科を名称変更) |
2008年4月 (平成20年) |
大学院通信教育課程外国語学研究科英語学専攻(博士後期課程)設置 |
2009年4月 (平成21年) |
大学院外国語学研究科国際文化協力専攻(修士課程)設置 商学部経営情報学科開設(情報ビジネスコミュニケーション学科を名称変更) |
2010年3月 (平成22年) |
翼館(学生アメニティ棟)竣工 |
2010年4月 (平成22年) |
スポーツ健康学部・リハビリテーション学部設置(人間健康学部を改組) |
2012年4月 (平成24年) |
スポーツ健康学部スポーツ健康学科定員増(入学定員120名) 経済学部総合政策学科開設(政策学科を名称変更) |
2013年4月 (平成25年) |
法学部法学科設置 |
2014年10月 (平成26年) |
大学創立50周年 50年のあゆみ |
2015年4月 (平成27年) |
現代社会学部現代社会学科設置(経済学部総合政策学科を改組) 国際文化学部国際文化学科・国際協力学科設置(外国語学部中国コミュニケーション学科・国際文化協力学科を改組) スポーツ健康学科こどもスポーツ教育学科設置 |
2018年4月 (平成30年) |
名古屋キャンパス 学舎名変更 |
2018年9月 (平成30年) |
名古屋キャンパスたいほう GLOBAL LINKS(言館・恵館) 竣工 |
2019年4月 (平成31年) |
名古屋キャンパスたいほう R-LABO (想館)竣工 リハビリテーション学部 名古屋キャンパス移転 |
2024年10月 (令和6年) |
大学創立60周年 |