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国際文化学部

[はしがき]


[はしがき]

宮坂 清
私たちが生きる「地域」は、常に変化し続けている。その過程に宗教はいかに関与しているのだろうか。受け継がれてきた歴史や民俗、街に点在する神社仏閣や教会、宗教家や政治家の活動、さらにはインターネットを通じた信念や価値観の流通―これらは相互に結びつきながら、地域の生成、維持、変容に作用している。「地域と宗教の動態」というテーマは、これまでも多様な学問分野で論じられてきた。本共同論集は、二十一世紀最初の四半世紀を終えようとしている現在の視点から、とくにアジア諸地域の事例を通して、その知見をあらためて検討することを目的とする。
地域はしばしば地理的空間として理解されるが、本論集では、文化人類学におけるローカリティ(「地域性」)概念を手がかりに、関係性や文脈のなかで不断に形成される動的なものとして捉える。ローカリティとは、人々の日常的実践の反復を通じて形づくられてきた文化的特性を指す。アパデュライによれば、それは主観的なものであり、近接した社会関係(ネイバーフード)というコンテクストの上に構築される。近代化によって人々はローカルな場から引き離される一方、文化的断片に新たな意味や関係が付与され、ローカリティは再編され続ける(1)。例えば本論集で扱う、高山右近が活動した高槻や『徒然草』に描かれる伊勢では、近代以降、これらの事象に新たな意味や関係が付与されることで、独自のローカリティが形成されてきた。また、韓国の民衆神学やアフガニスタンにおける女性の地位をめぐる葛藤といった近現代の事象も、それぞれの地域に継承されてきた文化的断片を参照しながら展開している。このように諸事象を、宗教を媒介として形成されたローカリティとして捉えることで、多様な議論を横断的に包摂する共通の基盤を構築することが可能となる。
以上の課題のもと、私たちは二〇二一年に「ローカリティ形成における宗教の関与についての学際的比較研究」をテーマとする共同研究グループを立ち上げ、五年間の計画でアジア諸地域におけるローカリティと宗教の動態を検証、評価することとした(名古屋学院大学研究助成、二〇二一〜二五年度、研究代表者:宮坂清)。発足当時はコロナ禍の只中にあり、グローバルな人の移動や物流が制限される一方、インターネットを介し多量の情報が激しく行き交っていた。そのような、身体が半ば固定され、真偽の定かでない情報に向き合わざるをえない状況のなかで、メンバー各自が身体的、ネット空間双方のローカルな場を見つめ直したことが、本研究テーマの背景にある。何が起きているのか、何が正しいのか、誰を信頼できるのかは、多くの人びとがそれを「信じる」ことで成立していく。このようにして、ローカルな場と人びとの信念体系としての宗教との結びつきが、主題として浮かび上がった。
もとより宗教や信念体系は社会的に生成されるものであるから、本研究テーマは多くの人文社会科学分野を横断した議論が可能であり、またその様態は多様であるからそうした学際的検討が不可欠である。そこで本研究では、文化人類学、歴史学、神学、平和学、法学、政治学、地域研究など、多分野の研究者による協働を基盤に、宗教と地域形成の関係を考察してきた。毎年、学際的な研究会、講演会、フォーラムを開催し、学会で成果発表を行うとともに、コロナ禍以後は沖縄、大分、インドネシア、ポルトガル、トルコ、ポルトガル/スペインなどを対象地として共同調査を実施し、現地で各分野の研究手法を実践し相互批判しながら、人文社会科学としての総合的成果を提示することを目指した(「あとがき」参照)。この手法は大きな相乗効果を生んだ。たとえば二〇二三年のポルトガル調査では、日欧交流史研究者によるフランシスコ・ザビエルや天正遣欧使節関連の絵画や教会建築の調査に、キリスト教史や宗教社会学の研究者が同行し解釈を深めた。また、ファティマの聖母顕現譚に関する現地調査には日欧交流史、キリスト教史の研究者が参加し、宗教的奇跡の語りとその現代的意義を多角的に検討した。こうした複眼的な視点と多様な研究手法の融合を通じて、さまざまな地域の形成のされ方についての議論を深化させてきた。
その成果としての本書は、以下の構成として編むこととした。
まず第1部「宗教が形づくる地域」では、歴史学および神学の視点から、宗教が地域形成の基層としていかに作用してきたかを検討する。宗教を個人の信仰に還元するのではなく、政治秩序や社会構造、価値観の形成に関与する実践として捉え、その歴史的展開と現代社会における意味を明らかにする。
「十六世紀日本の対欧外交の展開と宗教理解」(鹿毛敏夫)は、戦国大名が自領を「地域国家」として把握し、ポルトガル王権やイエズス会とのあいだで国交、通商関係を模索した過程を明らかにする。その外交が東アジアの華夷秩序を相対化する一方、相互の誤解を伴って展開した点、さらにキリスト教が仏教の一派として理解されつつ受容されていった宗教理解のあり方を考察する。続く「高山右近にみるキリシタン信仰が地域社会に与えた影響」(宮原奈美恵)は、キリシタン大名・高山右近が統治した高槻を事例に、キリスト教信仰が地域社会にもたらした具体的影響を検討する。キリシタン墓地の形成、信仰の自由の尊重、ミゼリコルディアの組による福祉実践を通じて、身分や貧富を超えた共生的な地域社会が構築された一方で、それが豊臣、徳川政権による禁教と弾圧へと接続していく過程を明らかにする。「韓国の民衆とキリスト教―『民衆神学』とフェミニズムの視点」(神山美奈子)は、植民地支配、分断、民主化闘争という歴史的文脈のもとで、韓国社会におけるプロテスタント・キリスト教の受容と拡大を整理し、抑圧された民衆の主体性を重視する民衆神学の意義と限界を検討する。さらに、民衆神学が十分に扱ってこなかった女性の経験や「恨」に注目し、フェミニズムの視点から宗教と社会の関係を再考する。最後に、「二十世紀後半の名古屋市におけるイスラーム教徒の足跡を辿る―一九八〇年代の関連諸団体に関する考察から」(吉田達矢)は、一九八〇年代の名古屋市を中心に、在留ムスリムが設立・参加した諸団体の分析を通じて、その動向を明らかにする。名古屋イスラム協会設立以前から、留学生や就労者を中心に、宗教に限定されない多様な活動と緩やかなネットワークが形成されていたことが示される。
第2部「宗教が表象する地域」では、歴史学、法学、国際政治学、文化人類学の知見を横断し、宗教が文学や地域メディア、さらには特定のエスニック集団との結びつきを通じて、地域像をいかに構築し、また再編してきたのかを検討する。宗教的言説が、地域の歴史認識や政治意識、社会的な自己理解の形成にどのように関与してきたのかを、多角的に明らかにする。
「伊勢神宮を軸に読む『徒然草』」(メイヨー・クリストファー)は、『徒然草』を隠遁的・仏教的随筆とみなす通説を相対化し、伊勢神宮を中心とする神祇崇拝と皇権秩序との関係に注目する。伊勢に言及する諸段の精読を通じて、兼好の思想が仏教と神祇信仰の交錯のなかで形成され、政治的・宗教的秩序と結びついていたことを指摘する。続く「毛利清雅の言論とそこに垣間見える宗教的影響における一考察―大逆事件期(一九一〇―一九一一)の『牟婁新報』記事分析を中心として」(榎澤幸広)は、大逆事件期の『牟婁新報』と毛利清雅の言論を分析し、地域主義的立場や新仏教運動の思想が、国家権力による弾圧や言論統制への批判としていかに表出したかを明らかにする。宗教的信念を基盤に、思想・表現の自由や権力監視を主張した姿勢に焦点を当てる。「多数派移民のマイノリティ性―ハワイの日系コミュニティの地域化を例にして」(増田あゆみ)は、植民地下ハワイにおいて多数派であった日系社会が、白人支配層から脅威視され、宗教や文化への攻撃を受けながらも、仏教とキリスト教を媒介としてアメリカ化と地域化を模索した過程を分析する。とりわけ、宗教の自由と労働者社会への適応こそが、日系社会にとっての真の地域化であったことを明らかにする。最後に、「ラダックのアイデンティティ運動とチベット仏教」(宮坂清)は、インド・ラダックにおける地域アイデンティティ運動の展開を、チベット仏教の歴史的役割と現代政治との関係から考察する。連邦直轄領化をめぐる運動や宗教言説の変容を通じて、仏教が文化的伝統であると同時に、地域統合や対外交渉のための政治的資源として再編されてきた過程を明らかにする。

ラダック・レー市のジャミア・マスジッド(インド)
目抜き通りの突き当りにあるスンニ派のモスク。もともと17世紀にムガル朝の影響により建てられ、近年再建された。白壁に彫刻入りの窓枠という典型的なラダック建築の様式は、宗教よりも地域の伝統を強く感じさせる。

ラダックにある中央仏教研究所の図書館書棚(インド)
ダライ・ラマ14世の肖像の背後に並ぶのは、チベット大蔵経テンギュル(論書部)中心の全集。1950年代にクショ・バクラ19世により設立された同研究所は、いまでは政府から大学と同等の研究機関とみなされている。

第3部「宗教が枠づける地域」では、信仰や儀礼、日常的実践が、権力関係や社会秩序、さらには抵抗や連帯のあり方と結びつきながら、地域の境界や意味をいかに具体的に形成し、規定してきたのかを検討する。国家統治、戦争、植民地支配、家族形成といった多様な局面において、宗教が果たしてきた実践的な作用を多面的に明らかにする。
「梁武帝の捨身と戦争」(会田大輔)は、南北朝時代の梁武帝が繰り返し行った捨身行為を、単なる崇仏的実践としてではなく、戦争や軍事的勝利と連動した政治的、儀礼的行為として再検討する。捨身の実施時期と対北魏戦争、さらには反乱鎮圧との関係を分析することで、仏教が国家統合や王権正統化の装置として機能したことを明らかにする。続く「『《世界》がここを忘れても―アフガン女性・ファルザーナの物語』のその後―ターリバーンの復権以後のとどまる決意と葛藤が交差する中での抵抗、そして連帯」(清末愛砂)は、ターリバーン復権後のアフガニスタンにおいて、国外脱出ではなく「とどまる」選択をした女性ファルザーナの経験を手がかりに、抑圧的統治下で生きる日常の葛藤と静かな抵抗の実践を描き出す。教育や就労の制限、恐怖と不安のなかでも尊厳を守ろうとする主体的行為、さらに国内外の女性や市民との連帯の可能性を通じて、暴力的権力に対抗する、生きることの政治を考察する。「『大東亜戦争』とアチェの抗日反乱」(佐伯奈津子)は、日本軍占領下のインドネシア・アチェで発生した二つの抗日反乱を手がかりに、「大東亜戦争」をアジア解放とみなす解放史観を再検討する。日本軍政がイスラームへの理解を欠き、強制労働や物資徴発を通じて人びとの反発を招いた過程を分析し、宗教を媒介とした抵抗の意味を明らかにする。最後に、「戦争花嫁、豪日結婚から豪比結婚へ」(佐竹眞明)は、戦後日本占領期に成立したオーストラリア兵と日本人女性の結婚と、その子世代による豪比結婚の事例を通じて、国際結婚における宗教の役割を考察する。神道、プロテスタント、カトリックという異なる信仰が、衝突ではなく寛容として調整され、多文化社会における家族形成を支えてきた過程を明らかにする。
また、いくつかの論考の後には、メンバーが各地域で体験した逸話や印象的な出来事を紹介するコラムを配置し、本書の議論に読者がより身近なかたちで参加するきっかけとなることを目指した。
本書が共有する視座は、地域を固定的な地理単位としてではなく、人々の実践や関係性、意味付与の積み重ねによって生成され続ける動的なものとして捉える点にある。各論考やコラムで示された事例は、宗教がその過程において、歴史解釈や社会秩序、抵抗や連帯、排除の枠組みを与える媒介として機能してきたことを明らかにした。宗教と地域の関係をこのように動態的に捉え直す試みを、変動の時代における世界理解の手がかりとして読み進めていただきたい。
注(1)アルジュン・アパデュライ『さまよえる近代―グローバル化の文化研究』(平凡社、二〇〇四年)(Arjun Appadurai, Modernity at Large: Cultural Dimensions of Globalization, University of Minnesota Press, 1996)。