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国際文化学部

【エピソード54】寿彭―『木砕之注文』の筆録者―


寿彭―『木砕之注文』の筆録者―

 日本最古の木割書(きわりしょ)(寸法などを記した大工技術書)と評価された『木砕之注文(きくだきのちゅうもん)』の史料中には、室町・戦国時代の様々な建築記録とデータが記されています。
 筆録者の名前は「寿彭(じゅほう)」。豊後府内の大工斎藤家の惣大工としての立場で、永禄5(1562)年か天正2(1574)年に、84歳の高齢で筆録したとあります。平成19(2007)年に寄託先の淡路文化史料館の許可を得て全丁の閲覧と撮影を行いましたが、80代とはとても思えない緻密でしっかりした筆致です。
 『木砕之注文』の特徴は、建築物のみでなく、「御長持(ながもち)之寸法」や「しやうきはん(将棋盤)ノ寸」「御硯箱(すずりばこ)ノ寸」などの、大友氏館(やかた)の内部で使用されたであろう多くの道具類についても、その寸法が明記され、復原が可能な点にもあります。なかでも注目したいのが、「舛(ます)ノ寸」や「御ふんとう(分銅)箱ノ寸」として、枡や分銅箱という度量衡に関わる木割が明らかなことです。
 枡については、史料に記載のある「二合舛」の容積が近世の「新京斗(きょうます)」の2合の約1、6倍に相当することが、建築史学界で指摘されています。また、「舛ノ寸」項目の後半では、「さぬき」(讃岐斗(はかり))の寸法が併記されており、この項目が記された明応5(1496)年当時のいわゆる地域枡が有する多規格性の実態も明らかです。これらのことは、文献史学で明らかになっている、16世紀半ばの豊後府内の豪商仲屋顕通(けんつう)が、容積規格の異なる豊後枡と肥後枡の容積比の換算過程(「肥後斗」の1升を「豊後斗」の7合で計算)を通して、隣国肥後豊田荘(熊本市城南町~宇城市豊野町)で請け負った年貢米から収益をあげていた実態とも深く関連します。
 また、分銅については、『木砕之注文』の記録から、大友氏のもとにあった分銅箱が、たて9寸×よこ1尺2寸×高さ8寸で、深さ2寸5分の「かけこ(掛け子)」(内箱)を有する構造だったことがわかります。実際に、府内の発掘現場からは、繭形(まゆがた)分銅・太鼓形分銅や天秤皿などの秤量器具の遺物が多数出土しており、また、分銅の大半には、大友家定紋の三木紋を示す「三」の印が陽刻されていたことが、考古学的に明らかにされています。文献史学においても、16世紀の史料に、天秤での秤量を生業とする「計屋(はかりや)」商人が営業していた事実が判明しています。
 84歳の惣大工寿彭が残した記録について、今後も多方面からの分析が進むものと期待されます。

『木砕之注文』(後ろから4行目に「是(これ)まで寿彭生年八十四にて書き直され候」とある)

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