【エピソード53】斎藤仁兵衛―最古の木割書を残した豊後府内大工―
斎藤仁兵衛―最古の木割書を残した豊後府内大工―
15世紀から16世紀にかけての大友氏の館(やかた)に関して、近年建築史学の観点から注目されている史料があります。『木砕之注文(きくだきのちゅうもん)』と名付けられた室町・戦国期の木割書(きわりしょ)(寸法などを記した大工技術書)です。
この史料は、淡路地域の地方史研究者だった新見貫次氏の旧蔵で、同氏没後に洲本市立淡路文化史料館に寄託されました。和本・地図・書冊・文書あわせて計3499件の寄託史料群は、その後、同館によって目録が作成され、『木砕之注文』は、「斎藤家祖先の記録」(年代「応永元年より天正十二年迄」、作成者「大工左ヱ門太夫、同仁右ヱ門入道玄盛、同斎藤仁兵衛」、枚数「八十二」)と表記されています。
そもそも、この史料の存在を最初に報告したのは旧蔵者の新見氏ですが、その内容を分析して建築史系の学界に広めるきっかけとなったのが、新見貫次・永井規男「洲本御大工斎藤家旧蔵の木割書について」という研究報告です。この論考によって、同史料は、豊後大友氏に仕え、代々仁兵衛を名乗る大工斎藤家の惣大工が、永禄5(1562)年もしくは天正2(1574)年に筆録した、「原本としては、おそらく最古に属する木割書であるというだけでなく、守護・戦国大名下の御大工の問題に関しても、また戦国期の豊後地方史に関しても貴重な史料」と評されました。
その後も、建築史の分野では、史料中の木割が古代以来の伝統的な技術の背景を濃厚に持つ体系であるとの評価がなされるなど、『木砕之注文』の史料的価値は学界に広く周知されることになり、史料を分析する個別研究も増加しました。
そして、2008年度からは、科学研究費補助金による「初期大工技術書に関する研究―「木砕之注文」にみる前近世的思想と技術について―」と題する共同研究が3カ年間で行われ、その成果として、同史料84丁の影印と釈文を刊行、現代語訳・解題・解説・図も施されました(木砕之注文研究会編『木砕之注文』中央公論美術出版)。
建築史学の分野において、豊後府内の大工だった斎藤家に伝わる『木砕之注文』は、首尾一貫した木割技法を示す目的で編纂されたものではなく、「実践された技法を素直に反映した技術書としての素朴さを示している」と評され、「中世に遡(さかのぼ)る希少な史料であるばかりか、我が国の建築設計技術の発達と変遷の過程を解明する上でも、本資料の価値は計り知れない」との価値付けがなされることとなったのです。
この史料は、淡路地域の地方史研究者だった新見貫次氏の旧蔵で、同氏没後に洲本市立淡路文化史料館に寄託されました。和本・地図・書冊・文書あわせて計3499件の寄託史料群は、その後、同館によって目録が作成され、『木砕之注文』は、「斎藤家祖先の記録」(年代「応永元年より天正十二年迄」、作成者「大工左ヱ門太夫、同仁右ヱ門入道玄盛、同斎藤仁兵衛」、枚数「八十二」)と表記されています。
そもそも、この史料の存在を最初に報告したのは旧蔵者の新見氏ですが、その内容を分析して建築史系の学界に広めるきっかけとなったのが、新見貫次・永井規男「洲本御大工斎藤家旧蔵の木割書について」という研究報告です。この論考によって、同史料は、豊後大友氏に仕え、代々仁兵衛を名乗る大工斎藤家の惣大工が、永禄5(1562)年もしくは天正2(1574)年に筆録した、「原本としては、おそらく最古に属する木割書であるというだけでなく、守護・戦国大名下の御大工の問題に関しても、また戦国期の豊後地方史に関しても貴重な史料」と評されました。
その後も、建築史の分野では、史料中の木割が古代以来の伝統的な技術の背景を濃厚に持つ体系であるとの評価がなされるなど、『木砕之注文』の史料的価値は学界に広く周知されることになり、史料を分析する個別研究も増加しました。
そして、2008年度からは、科学研究費補助金による「初期大工技術書に関する研究―「木砕之注文」にみる前近世的思想と技術について―」と題する共同研究が3カ年間で行われ、その成果として、同史料84丁の影印と釈文を刊行、現代語訳・解題・解説・図も施されました(木砕之注文研究会編『木砕之注文』中央公論美術出版)。
建築史学の分野において、豊後府内の大工だった斎藤家に伝わる『木砕之注文』は、首尾一貫した木割技法を示す目的で編纂されたものではなく、「実践された技法を素直に反映した技術書としての素朴さを示している」と評され、「中世に遡(さかのぼ)る希少な史料であるばかりか、我が国の建築設計技術の発達と変遷の過程を解明する上でも、本資料の価値は計り知れない」との価値付けがなされることとなったのです。

斎藤家に伝わる木割書『木砕之注文』(洲本市立淡路文化史料館寄託)


