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大学紹介

卒業生が語る:小川 博司


小川 博司

かけがえのない仲間と過ごした、大切な時間。
あの4年間が、今の僕を作ってくれています。


藤和ライト工業株式会社 代表取締役 小川博司


プロフィール
1970年、名古屋学院大学経済学部商学科入学。ラグビー部に入部。卒業後は叔父が経営する「藤和ライト工業株式会社」に就職し、2007年に同社の代表取締役社長に就任する。名古屋学院大学関連では、2008年に同窓会会長に就任、さらに2012年に名古屋学院大学理事に就任。

同窓会会長として大学に携わって

現在、私は名古屋学院大学同窓会の会長をやらせていただいています。10年ほど前、当時会長だった、東邦アストリー株式会社の代表取締役社長の占部憲一さんにご推薦いただき、理事を3年ほどやらせていただいたのち、同窓会が40周年を迎えた翌年に、会長に就任しました。占部さんは大学時代のラグビー部の先輩で、私が1年の時に占部さんが4年生で、1年間同じ部に所属していました。そのご縁でお声をおかけいただき、同窓会に関わらせていただくことになりました。しかし、恥ずかしながら、同窓会役員になるまでは、同窓会行事等に参加させていただいた経験がなく…。入ってすぐは手探りの状態ではありましたが、今では同窓会でできたつながりを大切にしながら、同窓生や在学生の皆さんとの交流を楽しませていただいています。
同窓会の活動内容としては、ホームカミングデーの企画・運営のほかに、年1回の同窓会会報の発行や、卒業生への記念品の授与などがあります。記念品は、2015年卒業生にはシステム手帳を、2014年卒業生にはボールペンとシャープペンのセットをプレゼントしました。実はそれまでは長年ずっと時計だったのですが、理事会で「ずっと時計だし、今はあまり使われないのかも」と意見が出て、思い切って変えてみたんですよね。昨年の謝恩会に参加させていただいた際に卒業生の方から、「時計かと思っていたら今年は違ったものでびっくりしました、嬉しかったです」と生の声を聞くことができ、とても良かったです。

今も変わらない、開放的な学風

小川 博司

私は、1970年に名古屋学院大学経済学部商学科に入学しました。初めて瀬戸のキャンパスに行ったのは入試の時でしたね。寒い日でしたが、広大な敷地に、自然に囲まれたキャンパスがあり、率直に「とても広い大学だなぁ」と感じたことを覚えています。普通の大学だと、学舎の入り口には大きな門があって、関係者以外はとても入りづらい雰囲気だったりするのですが、名古屋学院大学は「大きな門がない」というのも印象的でしたね。地域の方に対してもオープンな学風がそうさせているのでしょうか。
今の名古屋キャンパスも、閉鎖的な門構えではなく、わりとオープンな雰囲気ですよね。私自身は入学当初から、名古屋学院大学の開放的な雰囲気は素敵だなぁと感じていました。
当時は、経済学部しかなかったので、今と比べると学生の数もケタ違いに少なかったです。特に女子学生がとても少なかったですね。1年から4年まで、全学年を合わせても女子は50人弱くらいしかいなかったんじゃないでしょうか。体育の授業は、全学年の女子学生を集めていた記憶があります。私たちのキャンパスライフは男子学生だらけでしたが、今は瀬戸キャンパスも名古屋キャンパスも女子学生がとても多く、華やかな印象ですね。

ラグビー部時代の大切な仲間たち

大学時代はラグビー部に所属していました。1年の時は部員が30人ほどいて、とても大きな部でした。1つ上の先輩が強かったこともあり、かなり活気のある部活でした。ただ、先輩が引退して自分たちが一番上になった時には、8人しかいなくて…。「これではゲームすらできない!」と危機感を感じ、後輩とともに市内の高校のラグビー部を回って“リクルート活動”をしたことが、とても印象的です。ラグビー部の選手に声をかけ続けたその活動が功を奏して、実際に名古屋学院大学に入学してラグビー部に入ってくれた後輩もいました。大きな声では言えませんが、当時の私は毎日の授業よりもラグビーの方に気持ちが向いていましてね(笑)。でも、大学時代にそうして夢中になれることに出会えて本当によかったと思いますし、その当時の仲間は今も大切な盟友です。今でも、現役の試合はできる限り観に行くようにしていますし、年度末にある卒業生追い出しコンパや、年度はじめの新入生歓迎コンパなどにも率先して参加するようにしています。
瀬戸キャンパスで印象に残っているのは、部室とグラウンド、そして食堂ですね。食堂は毎日のように利用していました。当時は、今ある食堂の反対側、地下に入ったところに食堂がありました。よく食べていたのはランチやカツ丼、カレー…。ランチが150円くらいで、うどんやラーメンなどの麺類は30円とか50円とか、そういう時代だったように記憶しています。

老舗企業の新たなチャレンジ

小川 博司

大学を卒業後は、今の会社へそのまま就職しました。藤和ライト工業株式会社は、斎藤一郎氏が1946年に創業した会社で、当時、斎藤一郎氏とその妻、一郎氏の妻の兄である、私の父が3人で会社を設立しました。つまり、私は創業者の甥ということになります。
私が社長に就任したのが2007年の時です。創業者夫妻には子どもがいなかったので、甥である私が家業を継ぎました。現在は名古屋市内の本社とみよし市の三好工場で、創業時と変わらず、プラスチックの製造加工業を営んでいます。昔は住宅機器や二輪車部品なども製造していましたが、現在は90%以上車関係のパーツです。
我が社では、「お客様満足度No.1品質」を求め、設備保全や品質管理の活動をいち早く導入しました。自動車部品のプラスチック部品のニーズはどんどん多様化・複雑化していますが、クオリティの高い製品をお届けできるよう、設備投資と人材育成には力を入れています。最近は、自社製品としてスマホケースの開発・販売などにも手を伸ばしています。形状からオリジナルのものを作り、社内で試作を重ねて製品化へと進めています。また、すぐに形状が変更するスマホの波についていけるよう、多少形や大きさが変わっても対応できるような金型にし、スマホが新しいものになった時に、低コストでスピーディーに対応できるような生産体制も研究しています。これまでのノウハウを生かしながら、新しいことにもどんどんチャレンジしていきたいですね。

同窓生と楽しむホームカミングデー

名古屋学院大学同窓会では、毎年、学祭に合わせて「ホームカミングデー」を開催しています。卒業・修了生、在学生とそのご家族などを対象に、年に一度開催しているイベントで、大学の教育や研究の活動発表をするほか、同窓生や在学生、教職員らが交流する場とし多くの同窓生の方に参加をしていただいています。同窓会の理事になってから、瀬戸キャンパスで3回、名古屋キャンパスができてからは名古屋で開催しています。名古屋キャンパスで開催した一年目は、それまでの年の3倍以上も同窓生から参加表明がありました。母校の新学舎に、興味を持っている人が多かったのだと思います。
そして、去年は実に7年ぶりに瀬戸でホームカミングデーを盛大に開催しました。名古屋学院大学の創立50周年の節目と重なったこともあり、500人弱くらいが集まり、多くの人たちに囲まれながら大成功を収めることができました。これまでのホームカミングデーは、バンド演奏などの催しがあったのですが、今回は趣向を変えてマグロの解体ショーをやり、大変好評でした。初めての試みではありましたが、とても盛り上がり、参加していただいた皆さんにも楽しんでいただけたようで、本当に良かったです。
新しい名古屋キャンパスで行うホームカミングデーも良いですが、やはり我々からすると思い出が詰まった瀬戸キャンパスで過ごす一夜も特別なものがあります。今後もぜひ開催できると良いですね。

卒業しても、縁をずっと繋いでほしい

小川 博司

今のラグビー部は、有名な監督やコーチに指導をしていただける上、人工芝のグラウンドに、製氷機や温水シャワーを完備した広い部室も新しく作っていただいて、とてもうらやましいです。今後のラグビー部がとても楽しみですし、高校生が憧れるようなチームになってほしいと思っています。
最近は、同窓会の関係で、名古屋キャンパスによく行かせていただいています。成果発表会にも過去に審査員として出席させていただきましたが、最近の学生は本当に勉強熱心だと感心しました。ただ、熱心なのは素晴らしいことなのですが、少し気になるのは昔よりも「挨拶する元気」が足りないのかな、ということ。気持ちの良い挨拶は、社会に出てからも基本中の基本の礼儀です。学生ひとりひとりが自発的に元気よく挨拶をしたり、周囲とコミュニケーションが積極的に取れるような意識が高まっていくと、もっと魅力溢れる大学になるのではないでしょうか。また、それが自然と身につくような環境を大学側としては整えてほしいなと思います。
あと、卒業後は、ぜひ同窓会にも顔を出していただけたらうれしいですね。同窓会は、自分の出身大学と、ずっとつながっていくことができる架け橋の役割をしています。なかなか会えない業種の方と会える機会になったり、ビジネスチャンスにもなると思っています。在学生のみなさんには、元気よく多くの学びを名古屋学院大学で重ねていただき、卒業後もその縁が途切れることなく続いていくことを願っています。
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