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大学紹介

卒業生が語る:中村 好江


中村 好江

かけがえのない出会いに恵まれた
あの4年間が、今の自分をつくっています。


ニューオリンズ ジャズトランペット奏者 中村好江


プロフィール
2001年、外国語学部英米語学科卒業。9歳でトランペットをはじめ、12歳でニューオリンズへ渡る。その頃から、地元のプロバンドに入り、全国各地で演奏活動を行う。18歳でNYへ行き、世界的に有名なトランぺッターLew SoloffとJon Faddisに師事。19歳で本格的にソロ活動を始動。現在は全国での演奏活動のほか、講演なども行っている。自身のバンド「中村好江わくわくHOT6」から、2012年にアルバム『Wonderful Days』をリリース。

自然豊かなキャンパスに一目惚れ

高校生の時、父と初めて、この大学に見学に来た時は、とても天気の良い日でした。緑がいっぱいで、空が高くて。そのロケーションにピンときたんです。レンガ造りの建物の、あたたかい雰囲気も気に入って。その時、「ここがいい」と直感的に思いました。4年間、実家のある三重県鈴鹿市から、片道2時間半かけて通っていました。中学生の時からプロのバンドに入って仕事をさせてもらっていたので、大学の後は地元に帰って仕事か練習があるという生活。大学までの行き帰りでレポートを全て終わらせて、帰って来てからはトランペットに集中する、という感じでした。フットワークの軽さと要領の良さ、切り替え方を、きっとそこで修行出来ていったのだと思います。
幼い頃から音楽業界に身を置いていたので、音大という選択も、もちろんありました。音大に行っていたら、演奏技術は、さらに早く向上していたかもしれないのですが、私にとって、今までと異なる世界を、大好きな語学を通して、他の可能性の探求を体感できたことが、自分にとって視野の広さへ、つながったと思います。この大学で出逢えた、人生における大切な親友たちにも逢えなかったってことですし。音楽を通じた出逢いとは異なる、他分野で活躍する先生達、仲間との出逢い。そういった人たちと情報交換したり、ディスカッションする中で、自分を高め、育てていける、のびやかな環境だったと思っています。

音楽の背景にある、文化を知った

中村 好江

印象に残っているのは、梶原先生の黒人文化のゼミ。とても興味深かったです。卒業論文では、「ニューオリンズジャズと黒人文化の関わりについて」をテーマにしました。そもそもジャズのルーツは、黒人奴隷のプランテーションから讃美歌、ブルースの音楽が生まれ、南北戦争後、兵隊達が置いていった楽器が安く手に入った偶然の融合から始まっていったもので、人やその土地の文化とともに音楽も進化してきていて、黒人文化とニューオリンズジャズとは密接な関係にあるんです。卒論に取りかかる頃には、もう、プロのトランぺッターとして生きて行く決意をしたあとだったので、音楽と関わることを研究したいという思いが強かったというのも、このテーマにした理由のひとつです。とても勉強になりましたし、調べていくのが単純に楽しかったです。自分が演奏していく上で、その音楽の背景を知るということは、とても大きく、単に知識を持つ喜びではなく、深い意味を持っていると思っています。「なぜその音楽を自分が演奏するのか」を知らずに、ただ演奏するというのは、個人的に好きじゃないんです。背景や意味を知った上で、私自身の想いを音に乗せていくことが好きだし、それで初めて、今の瞬間を生きる私自身が、意味を持つ、いい演奏に繋がるのだと思っています。

自分を探し続け、見つけた4年間

在学中、一番時間を費やしたのは“自分探し”です。1年の夏にロンドンへ一人で行ったのをきっかけに、それまで海外へは常にバンドメンバーと一緒でしたが、長期の休みはすべて海外に一人で出かけていました。大学に入る前は、優柔不段な性格でしたし、12歳の頃から演奏の仕事をしていたこともあり、社交辞令が上手になってしまっていたんです。そんな自分が、キライでした。大学に入ったら、それらの自分を変えたいと思っていました。
旅先には、頼る人は誰もいないから、否応なしに毎日決断に迫られるんです、自分に。旅を重ねているうちに、人生における自分との対話が出来、優柔不断な自分はどこかへ行ってしまったし、人の目を気にしていた自分も開放されたような気がします。また、そういう感覚を分かち合える先生、親友に出逢えたことで、さらに話し合えていったことが本当によかったです。
国内外各地での出逢いを経て、大学3年の時に、生涯、プロトランぺッターとして生きることを決意して、正式にソロデビューコンサートもしました。当時、女性ジャズトランぺッターは大変めずらしく、新聞やテレビに特集で取り上げて頂いていたこともあり、光栄なことに、大学でも取り上げて表彰して頂きました。それによって、周りの友人、先生たちにも、いつも私が大きな荷物を持っているのは楽器だったと分かり「あの子、音楽やってたんだ」と把握してもらったみたいです。東京にも週1は夜行バスで往復するようになり、忙しい日々ではあったのですが、大学はとても好きな場所だったので、できるかぎり通うようにしていました。

楽しかった、キャンパスライフ

中村 好江

大学に入った当初は、この大学特有の緊張感みたいなものに慣れきれず、ドキドキしながら受講していました。異文化コミュニケーションの講義が全部英語だということに驚いたりとか。英米語学科だから当たり前なんですが(笑)。
あと、坂を降りたところの池に、白鳥がいますよね。あの場所が大好きで。よくそこでお弁当も食べてました。あの頃の私は食べる量がとにかく多くて(笑)。朝6時に朝食をとってから大学に来るんですけど、なにせ片道2時間半もかけて来るので、10時頃にパンやおにぎりを食べて、お昼を食べて、夕方また小腹がすくから食べて、それから演奏後に帰宅して夕飯…と、一日5食くらい食べていたと思います(笑)。
もう一つ、チャペルが、自分にとってお気に入りの場所でした。あの空間と、荘厳なパイプオルガンの音に、何度癒されたかわかりません。中でも一番のチャペルの思い出は、お世話になったゼミの梶原先生へのクリスマスチャペルライブ。私の卒論テーマが“黒人文化とジャズの関わり”だったのもあり、卒論と、先生へのクリスマスライブが卒業課題という楽しい条件。大学の仲間に手伝ってもらい、ロウソクを灯して、先生に贈る演奏ができたのは、とてもいい想い出です。
卒業後も、私のCDジャケット撮影に、チャペルを貸していただきました。自分が育った大切な場所と共に、人生の新しい門出をチャペルで撮影することができ、とても感慨深く、心から感謝しています。

チャンスを感じ取るアンテナを

現在はソロや、バンド「中村好江わくわくHOT6」で、東海地方はもちろん、東京、全国で演奏活動しています。最近の海外はパリや東ティモールでの演奏。特に近年、毎春ニューオリンズを往来しています。
地元・三重県鈴鹿市の「鈴鹿と・き・め・きカルチャー大使」も務めていて、地元でも音楽を通じた講演、演奏活動をしています。また、鈴鹿市教育委員会から依頼を頂き、夢工房講師として子ども達への、ふれあい講演を9年ほど続けています。いろいろな機会のご縁を頂きながら、地元でも全国でも活動させていただいています。
いつも子ども達にも話しているんですが、チャンスがある時というのは、「今、チャンスです!」なんて目印となるような札が貼ってあるわけではありません。要するに、自分がそれを感じ取って見つけ出せるような独自のアンテナを持っていなければ、それをチャンスにすることはできない。
「また今度でいいや」と思っていたら、あっという間にすべてが終わってしまう。だからこそ、その日その時の出逢いのきっかけ、頂いたご縁を大切にし、その与えられた瞬間を楽しんで全力を尽くすことが大事だと思いますし、私自身、そのことの大切さに気付けたのも大学生の時だったと思います。

一人旅で得るものと、見えてくるもの

中村 好江

自分の枠って、自分で勝手に作ってしまっているだけで、実は自分が一番気付いてないんですよね。自分の限界を決めてしまう前に、動いてみることが大切だと思っています。在学生のみなさんには、学生時代のうちに、一度、一人で旅に出てみることを、お勧めしたいです。
私自身、大学一年生の時に行ったロンドンへの一人旅で、考え方が変わりました。当てもなく観光旅行するんじゃなくて、知らない土地に行って、じぶんで毎日を切り開く日々、自分と対話する時間をたっぷり取ってほしい。それで自分に、とことん向き合えば、きっと見えてくるものがあると思います。新しい土地での人、文化に実際にふれることで、感性も視野も、ぐんと広がっていく。一人旅を経験することで、きっと、たくさんのチャンスを見つけることや、吸収することに柔軟になれると思うし、自分が選んで自分で歩くことで、自らが、どんな風に生きていきたいかが見えてくるはず。
大学の4年間というは、いつまでも時間があるように感じられますが、意外と、あっという間に過ぎ去ってしまうもの。これから先にたくさんの出逢いを重ねられるかどうかは、自分ならではのアンテナと行動にかかっていると、私は思います。
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