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大学紹介

卒業生が語る:青木 さやか


青木 さやか

「未来のために、今この一瞬を大切に」。
その想いを、この一曲に閉じ込めました。


ワタナベエンターテインメント所属 タレント 青木さやか


プロフィール
愛知県立瀬戸高等学校、名古屋学院大学外国語学部中国語学科を卒業。卒業後は名古屋タレントビューローに所属し、タレントとして活躍後、お笑い芸人に転身。2003年にワタナベエンターテインメントに移籍。お笑い番組をはじめ、数々のバラエティ番組などで活躍。今回、名古屋学院大学の創立50周年を記念し、「名古屋学院大学創立50周年記念カレッジソング LOOK FORWARD ~ 未来をともに」の作詞を担当。瀬戸市出身。

「カレッジソング作詞」という大役

今回、名古屋学院大学の創立50周年を記念して、カレッジソングの作詞に携わらせていただきました。久しぶりに大学のことを思い出し、改めて考える貴重な機会をいただきました。当初、「ぜひ、50周年記念のカレッジソングの作詞をお願いしたい」とオファーをいただいた時、嬉しさの反面、戸惑いもあり、「そんな大役、私には荷が重いです」と、実は一度お断りをしてしまったんです。でも、その後ずっと考えていて、こんなすばらしい機会はないし、頼りない自分ではあるけれど、微力ながら力になれることがあれば…と考え直し、私の方から「やっぱりやらせてください‼︎」と連絡をさせていただきました。
これまで、ネタ作りのために作詞、作曲をすることはあったのですが、こうした歌の作詞は初めての挑戦でした。音楽経験はあったのですが、作詞となるとまた別。もちろん私は作詞家ではないので、完成までとても悩みましたね。一番悩んだのは「この曲が、どんなスタンスで、誰に向けた曲なのか」、そして「どういう立場で、誰に向けて書くのが良いのか」ということ。何週間も考え続けました。大学時代を思い出しながら、いろいろ考えた時、やっぱり「私が“自分”というスタンスで、学生たちや、私が学生だった頃に向けたメッセージにしよう」と思い、作詞を始めました。

大学4年間の思い出と、少しの「後悔」

青木 さやか

大学入学前、初めて瀬戸キャンパスに行った時は、とても寒い日だったと記憶しています。でも自然豊かな大学だったことと、池で白鳥を見たことが印象的でしたね。大学なのに、なんだか旅行に来ているみたいな感覚でした。建物も、自然も、どこから写真を撮っても絵になるような、すばらしいロケーションのキャンパスだと思いました。
在学中は、よく晴れた気持ち良い日に麦粒苑で寝転がって日向ぼっこしたことを覚えています。あと、思星館の食堂にも、よく出没していましたね。これは聞いた話ですが、カラオケの時に出てくる映像の中に、瀬戸キャンパスが舞台になったものもあるらしくって。そんな素敵なところで、4年間を過ごすことができて、本当によかったです。
大学時代を振り返ってみて、気づいたことがあったんです。それは、「あの4年間はとても大事な時間で、尊い出会いがたくさんあった」ということ。それと同時に、「もっと勉強しておけばよかった」とか「あの時の若いエネルギーを、最大限に発揮できていたかな」とか、そういった自分に対する後悔も、同時に感じたんです。だから私は今回、それを歌詞に込めました。歌詞の中の強いメッセージは、今の学生さんたちに向けたものでもあり、大学時代の自分へ向けたものでもあります。だから、歌詞も曲調も、その思いに沿って、とても力強いものになりました。

未来を担っていく、頼もしい後輩たち

青木 さやか

建学の精神「敬神愛人」をベースに、自分の体験を交えて書き、完成したカレッジソング「LOOK FORWARD ~ 未来をともに」は、「名古屋学院大学創立50周年記念祝賀会」で披露させていただきました。その時に一緒に歌わせていただいたアカペラサークルのみなさんの歌声が、本当に素晴らしくて。みんなとても素直で、瞳がキラキラしていたのがとても印象に残っています。学生達から、輝かしさと同時に、頼もしさを感じました。後輩の歌声に感動したと同時に、こういう子たちが未来を担っていってくれるんだと安心した瞬間でもありましたね。その熱や若いパワーに、私の方が背中を押してもらったくらいです。学生さんたちと一緒に、祝賀会でカレッジソングの披露をさせていただけて、本当によかったです。
祝賀会でもお話ししたんですが、恥ずかしながら、40歳をこえてから初めて、自分の大学の大切さを感じました。遅いような気もしますが、でも気づくことができてよかったです。こうして、カレッジソングの作詞という大役を任せていただけたことにも感謝していますし、名古屋学院大学は、これからもずっとこうして歴史を重ねていってほしいと思います。今年、創立50周年を、こうして共にお祝いできたことを、とても嬉しく思っています。

今の私のルーツになったサークル活動

大学在学中の思い出深いことといえば、私の場合はサークルです。私は「放送文化研究会」に所属していました。放送文化研究会は、主に大学祭などのイベントで音響や司会を担当するサークルで、技術部、企画部、アナウンス部があり、私はアナウンス部にいました。そもそもサークルに入ったきっかけは「友達に誘われたから」という安易な理由でしたが、活動していくうちに、どんどん楽しくなってきたんです。サークルの一大イベントは大学祭なので、それに向けてみんなで企画して、たくさん練習して。円陣を組んで、本番前から泣きそうになったり…。大学祭が終わると、その達成感から、みんなで抱き合いながら号泣するんですよね。今改めて思うと、何を思ってあんなに泣いていたのかわかりませんが(笑)、でも、それこそが私の青春のひとコマでしたね。みんなで一丸となってひとつのものを作り上げるというあの感覚は、放送文化研究会の活動のおかげで、とても好きになりました。ある日、サークルの後輩に「先輩、アナウンサーになればいいじゃないですか!」って言われたんです。その時から話すことは大好きで、「好きなことが仕事になったら素敵だな」と思っていたので、「それ、いいかもしれない!」って、自分の中で少し未来が見えたんです。アナウンサーやタレント、芸能界に興味を持ったのは、放送文化研究会の活動のおかげかもしれないですね。

「思いを強く持つ」ということ

大学4年の時に、アナウンサー試験を受けましたが全滅。では他の仕事を、と就職活動をしましたが、これまた全滅。かなりヘコみました 笑。
卒業後、大学時代に通っていた事務所、ナゴヤタレントビューローに所属させていただき、イベントの司会や岐阜放送のお仕事などやらせていただきました。お笑いに転身。上京。若さゆえの自信もあっという間に消え、力のなさを思い知らされました。縁あって、ワタナベエンターテインメントに所属し、お笑いブームだったこともあり、エンタの神様はじめ様々な番組に出演させてもらい、30歳で何とか食べていけるようになりました。
大学卒業から30歳まで、経済的に、精神的に、きつい時期でした。その時期にも、私は必ず売れる!と強く思い続けていた気がします。言葉にもよくしていました。何者にもなっていない時期に、それを言うのは恥ずかしいことで。失笑されました。気持ちはわかります 笑。でも応援してくれる人もいた。できるだけそんな人達の話だけを聞いていた気がします。
たとえ、その通りにならなくても、思い描く未来を想像しながら生活するのは幸せだと今も思います。

自分を信じて、その道を突き進んで

青木 さやか

「これがやりたい」「こんな自分になりたいな」と思ったら、ぜひその道をまっすぐ突き進んでほしいです。「なんとなく」向かっていくだけでも、自分の中では少しずつ進んでいる感覚なのかもしれないんですが、実はあまり前進できていないかもしれません。例えば、壁にぶちあたった時に「もう、絶対無理!」って言い放ってしまうと、せっかく潜んでいた可能性もどこかへ逃げてしまうかもしれないんですよね。でもそれって、とてももったいないと思うんです。好都合な理由を探したり、人に流されたりして、その場から逃げるのはとても簡単。でもそれって、自分自身で可能性をつぶしているかもしれないんですよね。だから、それに気づいて、ぜひ動き出してほしい。どんな未来になるかは、自分次第です。私が若い頃に上京した時は、賛成して応援してくれる人なんて、ほどんどいませんでした。信じているのは自分だけで、周りからは「夢みたいなこと言って、本気なの?」と疑われて止められるばかりでした。でも今は強い心を持っているかというと、全くそうではなく、歳を重ねる度臆病になっている様に感じています(笑)。
自分を信じて周りを信じて、それを自分に言い聞かせながら日々を過ごしています。後輩の皆さんには是非自分の望む道を突き進んで、未来を築いて欲しいと思います。
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