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【国際文化学部】名古屋市立神丘中学校放送部の番組制作に協力!


2024年4月29日(月・祝)に、名古屋市立神丘中学校放送部の生徒5名・引率の先生1名の訪問を受け、「名東区と柴田勝家」についてのドキュメンタリー番組の取材・制作に、鹿毛敏夫国際文化学部長が協力・情報提供をしました。

NHKが主催する放送コンテストに出展するテレビ番組を毎年制作している同中学校放送部で、校区に「柴田」の名字がなぜ多いのかという疑問から、戦国武将柴田勝家ゆかりの「明徳寺」や地元の「勝家坂」などを取材する過程で、本学で戦国時代を研究する鹿毛教授にたどりつき、インタビュー取材が行われました。
①なぜ、名東区には柴田姓が多いのか? 
②なぜ、柴田家はこの地区に多くのものを残したのか? 
③神蔵寺のある一色城跡と一色氏はつながりがあるのか? 
などの疑問・質問を準備して撮影がスタートしました。

たいほうキャンパスのコミュニティー・リンクで取材に応じた鹿毛教授は、Google Earthで名東区の全景を投影し、明治時代の名古屋古地図や現代の名東区住宅地図を示しながら、室町時代から現代までのこの地区の発展の歴史を解説。明徳寺に残る勝家の石碑、水神貴船社の奉納者芳名記録などから、古くから柴田一族がこの地区を拠点として住み生活してきたなかで、15世紀の柴田勝重や16世紀の勝家らが一色城・下社城を砦として活動したことを説明しました。生徒からは飛び入りで、「一社」の地名の由来(一色+上社・下社)の質問などもあり、番組編集に向けて「とれ高」の多い取材となったようでした。

最後に、鹿毛教授から「現代の名東区の住宅地図をコピー・貼り付けて1枚の大地図にし、柴田姓の家をマーキングすることで、区内のどの地域に柴田姓が集中しているかを分析し、その現地を集中調査すると、さらに新たな発見があるかも」とのアドバイスもありました。
充実した歴史ドキュメンタリー番組が完成することを祈念します。

神丘中学校放送部員との質疑応答

貴船社の奉納者芳名記録を解説

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